庄内協同ファームだより

トップページ > 庄内協同ファームだより > 庄内協同ファ-ムだより 2002年12月 発行 No.91

「丸い餅と五木寛之」の話

鶴岡市 五十嵐良一

 私達の(農)庄内協同ファームでは、米の収穫を終えた土色の圃場に、点々と白い、白鳥が舞い降りた頃から本格的な餅の製造が始まります。
 減反への反対運動の過程でやり始めたもち加工も、20年近くになりました。我家の稲倉(農作業場)で、仲間とまきを持ちより、釜で自分達のもち米を蒸し、数台の家庭用もち搗器で板もちにしてから20年。
 昨年、ようやく自前の土地と有機認定を受けた自前の工場で有機栽培のもち米も「餅」加工することが出来ました。

 ここ庄内では、正月はもちろん、丸もちにして保存し、焼き、調理する文化圏?です。
 最上川をはさみ、南北で2万町歩、2万町歩で収穫されたお米が酒田港からの「北前船」で、関西との往来が丸もち文化の定着と言われています。
 関東以北で、丸もちですごすのは、庄内地方だけなのかもしれません。県内でも妻の実家(月山の東側=内陸地方といいます)は、切もち文化で暮に、家族皆で、丸もちやお供えの鏡もちをこしらえる儀式?は最初、興味深げでした。私も、子供の頃、新聞の4コママンガのもちが四角いのを不思議に思った記憶があります。それが私だけではなく、丸もちと切もちの文化圏の違いを文にした、作家もいてうれしかった事をもち加工の作業をしながら思い出し、今回のファーム便りに載せる事にしました。

 それは、五木寛之著 日記 -10代から60代までのメモリー-(岩波新書刊)という本です。抜粋してみると、20歳の日記(1953年) 1月3日(九州の餅と東北の餅について) 昨年の暮であった。きっかけは何だったか忘れてしまったが、餅と言うものは大体丸いものであるか四角いものであるかが問題になって数時間にわたる大論争を巻き起こした事があった。
 俺は餅と言うものは日本中どこでも丸いものとばかり思っていた。所が、東北では、関東もそうらしいのであるが、餅は本来四角くて平らなものとして認められているらしいのである。もっとも東北でも小松君の庄内のように丸い所もあるらしいが、大体において四角いのが普通であるらしい。「ぢゃ君達は餅という単語を聞いて四角な形を連想するのか」と俺が、至極馬鹿気た質問を放ったのに対して井上君等が、「そうだよ、勿論四角さ」と言下に答えて俺のドギモを抜いたものだ。所で井上君も「それぢゃ君達の雑煮の中に入っている餅は丸いのかい」とたずねて「当たり前だ」と俺が答えたのに「へえ」とたまげてしまったのだからどちらもどちらである。僕等は朝鮮でも丸い餅を食い、九州でも丸い。餅と言えばあの美しい形の、「ふっくらとした丸味に非常な親しみを覚え、」餅とはこんなものだとばかり思っていた。 四角な餅が存在すると云う事は僕等にとっては脅威であった。
 知らないと言う事は恐ろしいものだ。自分等の世界史しか知らないと言う事は餅一つについてもこの通りである。 我々は方々自分等の住んでいる世界を中心にしてものを考え、恐ろしい錯覚や誤解に平然として安住してる事が、相当に多いように思う。みじめな生活の中にひたっていると、そのみじめさが当然のように思えて来るのだ。 新しい事を知ると言う事は我々の物の見方や生き方に決定的な影響をあたえるものだしそこから進歩も発展も生ずるものだ。

 

 私達の法人でのもちの加工は、丸いもちの方が数多く出荷されています。もし、この庄内が関東以北丸もち文化圏でなかったら「こんな形で正月用のもちを加工してこなかったかも。この文化を伝え続けた、ご先祖様に感謝しなくちゃ。」笑いながらの仲間ともち加工の20年目です。

スケッチ

鶴岡市 小野寺 美佐子

 庄内の地にも25日夕方から綿のような雪が降り始めました。夕ぐれ時の木々に積もった雪は、まるで白い花が咲いたようで
幻想的な世界をつくりあげています。
 夜半に入り、綿雪が細雪に変わりました。音もなく降り積もる様は、「雪の降る町を」のステージになった町らしく、絵のような美しさです。こんな美しい景色を産み出す自然も一度荒れると、一寸先も見えない地吹雪に変わるのですから、自然の力は脅威です。2002年もあとわずかで幕を下ろします。 私なりにこの年を振り返ってみれば、一向に回復の兆しの見えない、経済と社会の不安感は今までになく、殺伐とした時代に映りました。

 農家にとっても、狂牛病の騒ぎがやっと下火になったと思ったら、農薬問題、秋にはひょう害や天候不順等、自分の力ではどうしようもない現象に悪戦苦闘の一年でした。 私自身も年代的に、体調の悪い年でしたが、悪いことばかりではありませんでした。仕事は、+、-プラスでしたし、体調の思わしくないのが幸いして、近所の人達の協力を得ることが出来ました。また、悪い年だといわれていたので行動を慎んでいた割には芽の出ることもあり、やはりプラスの年だったのでしょうか。
 この間、2003年を迎えるにあたって、来年の運を占ってもらいました。(この占い師さんよく当たんです)私の人生来年からバラ色ですって!
 特に仕事運がいいとの事。よし!今まで押さえていたエネルギーを全開にして、来年からは精力的に動きましょう!
 それでは皆様よいお年をお迎えくださいませ。

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